曹達泉

日々感じたことをつらつらと。

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子供の声が騒音て

 読売新聞。子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加という記事。

 「部活の練習がうるさい」「児童館で遊ぶ声が騒がしい」――。学校や公園などで、子供の声を巡って、周辺住民との摩擦が生じるケースが増えている。

 最近では、東京都西東京市にある公園の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、市が噴水を止める事態に発展した。

 松山市の中学校には2、3年前、「野球部員の声やボールを打つ音がうるさい」と苦情が寄せられた。野球部の練習に掛け声は付き物。気合を入れるため、一球ごとに声を出していた。

 住民との話し合いの結果、声出しはやめることになった。野球部は今も黙々と練習しており、住民は「以前よりは静かになった」と納得しているという。

 こうしたトラブルを未然に防ごうと、東京都の杉並区教育委員会では、小、中学校を改築する際に、周辺住民から要望を募っている。中にはこんなものもあった。「プール授業がうるさい。地下のプールにしてほしい」「体育の先生は小さい声で指導を」「校庭での球技はうるさいから禁止してほしい」。区教委では「抑えられる騒音は抑えるよう努力する」としながらも、困惑顔だ。



 まあ、人それぞれ色んな事情はあるだろうが。
 それにしても野球部員の声やボールを打つ音がうるさいとかプール授業がうるさいとか校庭での球技がうるさいとか、これはどうなんだろうか。
 一方では、近頃の若いモンは外で遊ばないだとか元気がないだとか体力が低下しているだとか言いつつ、他方では部活で声出すな、校庭で体育の授業するなと、そういうわけですか。

 だったら学校なんてもうなくしちまったらどうですか? 先生だってこんなこと言われたらやってられんだろうに。

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格差社会考4……くらいかな

 内田樹のブログ。「三連休のはずだが…」というエントリーでまたも格差問題について触れられている。既に何度も書いたことだけど、内田樹はこの問題にもう触れないで欲しいと思う。

 そういえば、今日テレビのニュースで既に大学3年生の就職活動が始まっていると報道されていた。バブルを超える売り手市場だそうで、就職氷河期の辛酸を舐め尽くした私としては、片腹痛いというか色々許せないと言うか、いやそれ以上にあのころのトラウマがよみがえってくるようで、動悸はするし軽い目眩は感じるし。とにかくあの頃の生きてゆくことへの希望を根こそぎ奪い取られた絶望と憤りとみじめさだけは生涯忘れることはできないだろう。
 向こうはもうすっかり忘れたかもしれないが、私は絶対に忘れない。忘れてなるものか。


 以下は内田樹のブログのエントリーに対する批判。

学力の不足はひさしく自己評価を下げる要因であったけれど、学力の不足を「無意味なことをしない、合理的な生き方をする私」に対するプラス評価としてカウントする社会集団が統計的には90年代末に出現したことが知られている。
この集団は現在学齢期の子どもたちの相当数に達していると思う。
同じことは「うまく働けない若ものたち」にも見ることができる。
この場合は、就労していないことを直接的に「合理的な生き方」としてプラス評価することにはいささか無理がある。
社会評価が低いし、金も入ってこない。
そこで彼らはちょっと変わったカードを切ってくる。
それは「格差社会の本質と構造についての洞察は、格差社会の最底辺にいる人間がもっとも深い」というロジックである。


 学力低下について、勉強をしないことが合理的判断に基づいているという論理はともかく、うまく働けない若者が「格差社会の本質と構造についての洞察」を得るために、望んで格差社会の底辺にいるという議論はいくら何でも乱暴ではないだろうか。
 苅谷剛彦のような学力低下の現場を見てきた人たちの洞察を、勝手に格差問題にまで拡大して援用することはやはりもう少し自制して欲しいと思う。


私が格差社会論とかニート、フリーター論を書くと、自称「格差の最底辺」にいる人々から罵倒に近い言葉がどっと寄せられる。
それらのすべてに共通するのは、「お前は格差社会の実情を知らないが、私は知っている」という「知的優越」のポジションを検証抜きで前提にしていることである。
このロジックは古くはマルクス主義者が、近年ではフェミニストが愛用したものである。
差別されている人間は差別社会の構造を熟知しているが、差別する側の人間は差別社会がどう構造化されているかを知らない。
マルクス主義者や第三世界論者やフェミニストたちの知的な明晰性が運動の過程でどのように劣化していったのか、私は四十年ほど前から注意深く見守ってきたが、その主因のひとつが、この「被迫害者は当該社会における『神の視点』を先取しうる」という仮説にあるというのが経験的に得られた教訓の一つである。


 ここの議論には明らかな論理的すりかえがある。
 格差の底辺にいる人たちが「お前は格差社会の実情を知らないが、私は知っている」と言ってきたとしても、それが直ちに「差別されている人間は差別社会の構造を熟知しているが、差別する側の人間は差別社会がどう構造化されているかを知らない」という意味になるとは限らない。
 少なくともこれまで内田は格差問題は幻想であるというような主張を行ってきたが、それに対して底辺にいる者が、「現に今働き口が無い私の苦しみを幻想ということは許せない」と反論することは有効だし、その言葉は格差の実情を知るものの叫びとして受け止められるべきだろう。
 だがその反論はあくまで格差の底辺にいる者による個人的痛みの吐露であって、内田の言うような社会構造に関する「知的優越」などではない。


あるゲームでつねに勝つ人間とつねに負ける人間がいた場合に、そのゲームが「アンフェアなルール」で行われていると推論することは間違っていない。
しかし、つねに負け続けている人間はつねに勝ち続けている人間よりもゲームのルールを熟知していると推論することは間違っている。
通常、ゲームのルールを熟知している人間はそうでない人間よりもゲームに勝つ可能性が高いからである。
格差社会において下位階層に釘付けにされている人間は、格差社会における階層化の力学法則についてあまりよくわかっていないと私は推論する。
よくわかっていれば、階層上位に上昇する方法についても熟知しているはずであり、当然その方法を試しているはずだからである。


 この文章はこれ自体では正しい。
 しかし格差問題の当事者達は、「我々はルールを熟知している」と言っているわけではない。「ルールがアンフェアだから是正してくれ」と言っているだけなのだ。むしろ、格差は幻想の水準にしか存在しないと言ってルールのアンフェアを否定したのは内田自身ではなかったのか。


私はそれよりは階層化社会の下位に釘付けにされている人々は「階層上位に上昇する方法」は自分たちには構造的に与えられないという説明を鵜呑みにすることによって階層社会の下位におのれ自身を釘付けにしているという解釈の方が生産的ではないかと思う。
「被害者は全能である」というのは今私たちの社会にひろく流布している一つの「ドクサ」である。
それゆえ誰もが「被害者」の立場を先取しようと、必死に競い合っている。


 これはいまいち分からない。
 これまでの差別問題が「被害者」の立場を先取しようと競い合ったのは、女性が男性になるとか黒人が白人になるとかそういったことが不可能であったからである。女性であるとか黒人であるといった条件は生得的なものだから「階層上位に上昇する方法」は自分たちには構造的に与えられないという説明が説得力を持ったのであり、その議論を格差問題に持ち込む意味が私には分からない。
 大体、低所得労働者は「階層上位に上昇」したいと考えているのではなくて、生活できるだけの賃金の保障が欲しいだけなのである。


 何となく思ったのだけど、内田樹には格差問題と言ったとき、その対象として働きたくないと言ってフリーターやニートになる者や、自己実現とやらのために就職を拒む若者しか見えていないのではないだろうか。
 だが、働きたいと言った若者を10年に渡って拒み続けてきた社会があること、マジメに働いていながら生活保護水準の賃金しか得られないワーキングプアと呼ばれる人々がいることを忘れるべきではないと思う。
 内田は特異な理論をもって、「この事態は「学歴社会に対する批評性は、学歴社会の下位にあくまでとどまることで構築される」というイデオロギーによって子どもたちが「学びからの逃走」のうちに満足感と達成感を得ているのと同型的である」と述べているが、そもそも格差の本質的問題は「労働からの逃走」にあるのではなく(そういう若者も確かにいるが)、必死に働いていても報われない、働きたくても働けないといった水準にあるのであり、学力低下問題と同型的な論理で説明すべきことではないのである。

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羽生王座16連覇

 日経新聞。羽生王座が16連覇・将棋の王座戦というニュース。

 将棋の羽生善治王座(37)が3日、16連覇を達成した。自身が持つタイトル連覇記録を更新するとともに、王座通算16期で中原誠名誉王座・永世十段が持つ最多獲得記録に並んだ。

 3日朝から山形県天童市の松伯亭あづま荘で指された第55期将棋王座戦(日本経済新聞社主催)の5番勝負第3局で、羽生王座は挑戦者の久保利明八段を午後10時6分、110手で下し、3連勝で王座を防衛した。

 羽生王座は現在、王将を併せ持つ2冠。王座戦では1992年にタイトルを奪取して以来、連覇を続けている。



 とんでもない記録である。
 羽生善治二冠はおそらく今最も有名な棋士だと思うけど、実際ここ15年くらいのあいだ最強の名を欲しいままにしている。数年前、森内俊之にかなりタイトルを奪われて以降、かつてほど圧倒的という感じではなくなったけど、それにしても例えば同世代の森内や佐藤などに調子の波があることを思うと、とにかくこの人はコンスタントに強いというのがすごいのだと思う。
 最近は羽生・森内・佐藤に加え、郷田・木村・深浦・渡辺・久保などがタイトルに充分手の届くくらいに実力を付けてきているのでだいぶ面白いことになっている。今回の王座戦もかなり面白かった。

 てなわけで、次は竜王戦だ。楽しみだ。

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最近気になったニュース

 毎日新聞。「神戸・高3自殺:逮捕された生徒の弁護人、上申書を提出」という記事。

 自殺した神戸市須磨区の私立高校3年生(当時18歳)への恐喝未遂事件で、9月17日に逮捕された男子生徒(17)の弁護人が2日、神戸地検に上申書を提出した。

 上申書では、被害生徒が自殺当日、別の生徒に遺書を書いたことを打ち明けて「あいつら(加害生徒ら)に迷惑かけないよう遺書に名前など出さないようにしている」と話したと指摘。「(逮捕された生徒が)自殺の原因を作り、恐喝をしたのなら、気を遣う発言をするはずがない」として、「逮捕は被害生徒の本意ではなかったと考える」と訴えている。被害生徒の発言は「担任教諭から確認した」としている。



 いまいち状況が見えないのだけど、被害生徒が別の生徒に遺書を書いたことを打ち明けたのなら、何故そのとき「別の生徒」は被害生徒の自殺を止めなかったのだろうか。また、これは自殺の意志を相談できるような友人が被害生徒にはいたと言うことなのだろうか。自殺という極めて重大で窮極的な決断を話す友人と勇気を持ちながら、被害生徒は自死したというのだろうか。そんなことってあるのだろうか。

 何となく嘘くさく聞こえるのは私だけだろうか。
 しょうもないツッコミだけど、被害生徒の発言は「担任教諭から確認した」とのことだが、それは確認とは言わないだろう。確認なら話を打ち明けられた当の生徒からすべきだろう。
 私にはどうしても加害生徒と学校がグルになって事件の矮小化を図っているように感じられてしまう。

 それから、「逮捕は被害生徒の本意ではなかったと考える」という部分も謎である。民事訴訟じゃあるまいし、被害生徒の本意であるかどうかに関わらず、それが犯罪行為であると認めるに足る証拠があるならば逮捕は当然のことだと思うのだが。



 読売新聞。デスノート殺人犯の名残し、男性のバラバラ死体…ベルギーという記事。

 【ブリュッセル=尾関航也】ベルギーの首都ブリュッセル市内の公園で、切断された若い白人男性とみられる死体の一部が見つかり、そばに「私はキラです」との日本語がローマ字書きされた2枚のメモ紙が残されていたことが2日、分かった。

 「キラ」は日本の人気マンガ「デスノート」に登場する連続殺人犯の名前で、警察は、作品に触発された猟奇殺人の可能性があるとみて調べている。

 地元警察によると、見つかったのは両足の太ももと胴体の下半身部分。先月28日夕、公園内の遊歩道脇に、むき出しの状態で置かれているのを通行人が発見した。

 メモ紙には、2枚とも手書きで「WATASHI WA KIRA DESU」と書かれ、1枚ずつ異なる色のインクが使われていた。



 ここまではっきりしていると、どう言い訳のしようもなくマンガの影響であることは疑いようもないけど、それにしてもいちいち日本語で書くなと言いたい。ここまで嬉しくない日本語の使われ方もなかなかない。もっとマシな日本語を覚えろよ。

 まあ、マンガの影響だろうが他の犯罪の真似だろうが、犯した罪は犯した人間のもの以外ではあり得ないし、デスノートなんてあるわけないのだから、速攻で逮捕されて厳罰に処されて自分はキラではなかったと悟れば良いと思う。

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安倍首相退陣について

 9月12日。1時半頃仕事をしていると、先輩の方がテレビをつけたので、何事かと思っていると、安倍総理が辞意を表明したとのニュース。これは仰天した。

 いや、色々事情はあるのだと思う。心労も並大抵ではないだろう。敗残者に追い打ちをかけるのは酷だと思う。
 しかしそれでもなお、安倍首相は私が知る歴代の総理の中でもダントツで最低だったと言うに躊躇することはない。

 結局この人は小泉前総理の遺産を食い潰して、それで自分の思い通りにならなくなった途端に駄々こねて、周りの迷惑を顧みず尻尾巻いて逃げたわけだ。
 沈没する船から逃げるか残るかを決めるのは船長たる首相の務めだと思う。無論、どちらだから良いとか悪いとか言うものではない。どちらに決断するにせよ、それは沈没させた船長の責任のとりかたであると思う。しかし残ると決めて、周囲を完全にその気にさせておいて、ひとりでスタコラはいくらなんでも国家の長たる者のすることではない。悪口を言っても始まらないけど、しかし、こんな無責任な人を頭に戴いて、それで何とかなってしまう日本はすげえよなあ、とは思う。

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